1日遅れですが、 音楽情報誌「ラティーナ」の5月号が発売となりました。ディスクガイドのトップで、CD『Jacaranda en flor』をお取りあげいただけました。感謝。また、同CDの記事に2ページも割いていただけています。これも感謝です。
それ以外の記事では、個人的にはバンドネオン奏者オスバルド・ピーロへのインタビューが大変に面白かったです。グリーンランドの音楽は、なるほどヨーロッパ周縁という文化的区分けの仕方はあながち的外れなものでもないのだと感じるものでした。
2015/04/21(火) 12:55:19 |
EXAC012
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CD『ジョー・パワーズ‐青木菜穂子 / Jacaranda en Flor』の紹介記事、第4回です。本CDの実際のプレイの一部を聴く事が出来るPVをアップさせていただきます。
音楽試聴の辛い所は、ある水準以上の音楽になると、曲の一部を切り出してもあまり意味がない点です。どら焼きの試食であれば、一口食べれば大体伝わるかもしれません。しかし音楽の場合、1曲45秒という規制の中で聴いていただいた箇所の後に転調があり、ソロがあり、大サビが来て…と、色々なドラマが待っています。音楽の持つ時間芸術の側面が伝えられないのは辛い所ですが、それでも曲想やサウンドの質感だけでも伝わりましたら幸いです。
VIDEO http://bishop-records.org/onlineshop/article_detail/EXAC012.html
2015/04/19(日) 03:10:41 |
EXAC012
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ジョー・パワーズさんと青木菜穂子さんのデュオは、初共演から6年の歳月をかけて録音に挑んでいます。ここまで熟成を待ってから挑んだ大一番のレコーディングで、私はプロデューサーとエンジニアという重すぎる二役を兼務させていただいたのですが、同時に大変楽しい作業でもありました。この録音にあたっての、エンジニアとしての視点からの記事を載せておきたいと思います。この文章は、音楽誌『ラティーナ』への寄稿が文字数オーバーしてしまいまして、やむなくカットした部分です。アルバムの内容を知る何らかのきっかけになるかもしれないと思いましたので、ブログに載せさせていただく事にしました。次号『ラティーナ』(2015年6月号?)を読んでいただける方は、『Jacaranda en flor』の記事の最後に、この文章が来る筈だったと想像していただけると、記事がもう少し面白く感じられるようになるかも知れません。
エンジニアとして。このCDのアコースティックイメージのすべては、表題曲“
Jacaranda en flor ” に合わせて作られています。もしもっとリズムの強いタンゴ的な曲を本CDの中心に見据えていたら、まったく違うサウンドや音像を作ったでしょう。良好なオーディオ環境でこのCDを聴く事が出来た場合、ピアニストは聴者の3mほど先、ハーモニカ奏者はそのわずか手前にいるように感じられるようにしたつもりです。アコースティックは、ピアノの和音が最も美しく混ざると思われた場所に設置されたアンビエントマイクによるものです。
ステレオ録音によって音像を作り出す場合、最も簡単なのが左右、次が上下、最も難しいのが前後です。アコースティック楽器のアンサンブルの録音で前後を作れているかどうかは、エンジニアの技量をはかるひとつの目安になります。前後の音像に絞って話をすると、前後は立体音像の最重要点となるだけでなく、楽曲のアレンジやミュージシャンの音のやり取りにも大きく関わるデリケートなポイントです。旋律よりも伴奏者が前にいると感じたら、人はどう思うでしょうか。アレンジ面から考えると、音量が同等でありながら主従関係を示す事が出来れば理想と思います。立体音像は、音量ではない方法でこれを実現します。しかし前後の難しさは、それがアコースティックにも関わってしまう点にあります。人が「感じる」部分(サウンドイメージ)と、人が「考える」音の構造(アレンジ)、前後の音像の定位において、エンジニアはこれの最もよくバランスする点を探す事になります。
近年の録音は、残念ながらアルゼンチン音楽のようなきわめて人間的な音楽ですら、演奏者全員がスピーカーに貼りついているようなものが増えてしまいました。アコースティックな室内器楽ほど演奏家の見える音楽もないと思います。このレコーディングでは、オーディオ装置で聴いているのではなく、生演奏を聴いている感覚の作品を目指したつもりです。これは、楽曲のアレンジを見せる事を含みます。楽曲のアレンジが優れていた事と、青木菜穂子さんとジョー・パワーズさんの出す音が、個人の見えるものであってくれたからこそ、出来る選択でした。
なぜラティーナ誌にこういった文章を載せようかと目論んだのかというと、オルケスタ・アウロラの活躍などで、青木さんにはタンゴ奏者という強烈なイメージがありすぎるのではないかと私が危惧したからです。緩やかながら、現在のアルゼンチンの音楽は変化の時代を迎えているように感じます。このアルバムは、その瞬間を捉えたという側面があります。音の変化は、こうした状況を背景にしていると感じるわけです。 (近藤)
http://bishop-records.org/onlineshop/article_detail/EXAC012.html
2015/04/11(土) 02:26:05 |
EXAC012
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タンゴ、アルゼンチン・モダン・フォルクローレ、オリジナル作。この3つの中では、「モダン・フォルクローレ」なるものは、言葉は分かりやすいですが、実際の音にはあまり触れられていないのではないかと思います。少なくとも、私自身はそうです。というわけで、今回は「アルゼンチン・モダン・フォルクローレ」と『
Jacaranda en flor 』の関係について語ってみたいと思います。
多くの例外を含みますが、分かりやすくするために単純化して語ると、中南米のうちでもクリオーリョとインディオの接触のあった社会の民俗音楽は「フォルクローレ」と呼ばれ、他の色の強い社会の生み出した音楽は、たとえそれが民俗音楽であっても「フォルクローレ」と呼ばれる事は少ないです。これをアルゼンチンという枠で捉え直すと、ブエノスアイレスだけが特別で、ブエノスアイレスは「タンゴ」、それ以外は「フォルクローレ」という図を描く事が出来ます。
ラテン音楽は、国別に聴かずに全体として捉える大変に面白い動きが見えると思うのですが、それはこの地の音楽が文化的な動きを強く反映するからかも知れません。スペイン入植以降のラテンアメリカの歴史は、グローバリゼーションの震源地との闘いの歴史です。皮肉にもアルゼンチンの文化的アイデンティティのひとつはこの辺りにあるようで、理由を見つけてはすぐアルゼンチンに行ってしまう青木さんは、このCDの制作にあたって行わせていただいたインタビューの中で以下のような発言をしています。
「移民という歴史が関係あるのかも知れませんが、向こうの人と話していると、自分の祖先とか、ルーツという話によくなります。またそれをすごく大事にしている。」
南米のクラシック音楽には、ヨーロッパ音楽の模倣をひたすら続けていた時代があります。ところがある地点を境に、「自分とは何か」を意識したような民族主義的傾向を増していきました。アルゼンチンでは、ヒナステラという作曲家が有名です(『GINASTERA / Panambi, Estancia』*1)。これは上記の文化的あらわれが意識的に音楽に反映された例。そして、在野の音楽では得てしてこれが無意識的に起こる。ヨーロッパではなく、自分自身のアイデンティティ。「アルゼンチン」や「フォルクローレ」という言葉は、こうした背景が元となって立ち上がってきているものと思います。「アルゼンチン・モダン・フォルクローレ」という言葉は3つの単語によって構成されていますが、その理由のすべてはこれで説明できてしまう気がします。
「フォルクローレ」。アルゼンチン・モダン・フォルクローレのサウンドには幅があります。それこそクリスティーナとウーゴと同一線上にあるような歌謡音楽もありますし、ユパンキのようなギター・インスト、民族主義的な在野の地域芸術音楽とでも呼びたくなるようなものもあります。すべての共通項は何らかの点で「フォルクローレ」なるものにアクセスしている点です。モダン・フォルクローレの特徴を敢えて言語化すれば、ヨーロッパ音楽と自文化を衝突させることによるモダン化、しかし当事者レベルにおいてはそれが自覚的であるとは限らず、その音楽表現の目指しているものはもっと私的な個人的感情のようなもの、という感じになるのではないかと思います。実際には個人差があって、例えば『Lilian Saba / malambo libre』(*2) などは、無意識的どころか、かなり意識的に伝統的フォルクローレとジャズの衝突を起こしているように聴こえます。しかしやはり基本的には表現技法だけが西洋的にモダナイズされた私的音楽、これがアルゼンチン・モダン・フォルクローレの全体的な方位であると個人的には感じます。
さて、論より演奏。青木さんは、アルゼンチン・モダン・フォルクローレを理解の助けとして、Lilian Saba、Carlos Aguirre、Aca Seca Trio、Quique Sinesi あたりの名を挙げています。例えば、青木さんと同じピアニストであるカルロス・アギーレの音楽などを聴くと(例えば『Carlos Aguirre / CAMINOS』(shagrada medra, shcd-023)、一気に「アルゼンチン」と「モダン」の意味を分かった気になれると思います。実はこれと同じことが、本作『
Jacaranda en flor 』にも言えてしまいます。では、そのサウンドはどのようなものか。
さきほどは「私的」と表現しましたが、表現技法はかなり異なるものの、表現傾向は汎アルゼンチン的とでも言いたくなるような共通性を感じさせます。例えばタンゴだと、私は非常に熱っぽい演奏と同時に哀愁を漂わせるものが多いと感じます。アルゼンチン・フォルクローレにも、共通して所有している表現傾向があると感じます。ひとことで言うと、技法で言えば従来のアルゼンチン・フォルクローレのリズムや和声が外部音楽を取り込んでモダナイズされた感じ、印象で言えば静穏で内省的なものが目立ちます。タンゴとの共通項は、心情や感情の表現を音楽の中心においているように見える点で、つまりこれが「アルゼンチン」なるものの表象形式なのかも知れません(*3)。言葉にすると陳腐に聴こえてしまうかもしれませんが、これが独特の詩情をたたえているのです。
少し長くなりましたが、大雑把かつきわめて主観的なアルゼンチン・モダン・フォルクローレ・ガイドでした。ブラジル音楽で言うところのボッサやノルデスチのアルゼンチン版という感じでしょうか、一度この静穏で内省的なサウンドに嵌まると病みつきになります。CD『
Jacaranda en flor 』の中では、実際のアルゼンチン・モダン・フォルクローレ作品が取り上げられていますが、青木菜穂子さんのオリジナル作品が、同等またはそれ以上に「モダン・フォルクローレ的」である事も、この作品の持つ重要な文化記号のひとつであるように思われます。
以上、少しでも『
Jacaranda en flor 』の音をイメージする手助けになりましたら。 (近藤)
http://bishop-records.org/onlineshop/article_detail/EXAC012.html (*1) 『GINASTERA / Panambi, Estancia』(CONIFER CLASSICS, 75605 51336 2) 収録の2曲のバレエ音楽などは、ヒナステラの作品群の中で相当に民族色の強い作品。「エスタンシア」という言葉自体がラテンアメリカの大規模農園の事で、この地の近現代の歴史を強く象徴する言葉でもある。 (*2) gobi, LSMC-003。 (*3) 「表現」という言葉は、音楽演奏に対して用いる時には気を遣う言葉です。表現のない音楽は無いと思いますが、音の表現が「感情を表現するもの」として選択されているかというと、そういう音楽は実は少ないと思います。ある音楽では、表現と言えば、「具体的にどれぐらいのタッチで、どういう音色で、音楽を具象化するか」という事そのものを言うのであり、そのような表現を行う根拠となったもの(例えば、演奏者の感情)を指す事は稀に思えます。「表現」に関しては、演者と聴者で理解の隔たりがあるように感じます。しかし、アルゼンチンの音楽家のインタビューなどを読んでいると、何らかの感情の表象形式として、音楽という表現形態が選ばれているのではないかと思われる記述に多く当たります。タンゴを説明する時に、「移民の悲しみ」のような表現が用いられることがありますが、これはその一例。しかしそれはブエノス/タンゴに限られた話ではなく、アルゼンチン全体が共有している音楽の理解の仕方であるようにも思えます。例えば、音楽誌『ラティーナ』2015年3月号の中で、アルゼンチンの音楽家チャンチャ・ビア・シルクイードは以下のように言っています。「現在アルゼンチンでは、たくさんの社会活動や政治的な運動が起こっている。絶え間ないインフレーションと貧困の拡大により、人々は不満を抱いている。社会が音楽にも間違いなく反映される。音楽が世に発信できることとは、さまざまな感情や、精神だと思う」。どのような「感情」が表現されるのか、またそれがどのような音楽形式によって表現されるのかは、ジャンルや個人によって差があります。タンゴとモダン・フォルクローレのふたつに感じる差異などがそれですが、しかし同時にこの音楽に対する理解の共通項、これ自体がアルゼンチン音楽全体をひとつのものと感じさせる大きな理由となっているように、個人的には感じます。
2015/04/07(火) 21:54:50 |
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近い日程で2タイトルを発表させていただきますので、逆リハの要領で、後発の作品から先にご案内させていただこうと思います。5月1日発売は、『
ジョー・パワーズ‐青木菜穂子 / Jacaranda en Flor 』になります。CD発売時というのは、音楽雑誌出版社様や小売店様宛にレーベルコピーと呼ばれる紹介文をお送りさせていただくのですが、まずはその文章をご紹介させていただきます。
『ジョー・パワーズ‐青木菜穂子 / Jacaranda en Flor 』 (Bishop Records, EXAC012, \1800 +tax) 2015.5.1発売
ハーモニカのジョー・パワーズと、ピアノの青木菜穂子。タンゴやモダン・フォルクローレといったアルゼンチン音楽を中心に演奏してきた両者のデュオ演奏集。
アメリカ出身のジョー・パワーズは、タンゴハーモニカ奏者であるウーゴ・ディアスに強く影響を 受け、実際にアルゼンチンに渡って本格的にハーモニカを習得した経歴を持つ。ハーモニカ音楽であれば何でも演奏してしまうほどのテクニシャンだが、ここ数年は特にアルゼンチン音楽に情熱を注いでいる。一方の青木菜穂子は、ブエノスアイレス市の市立タンゴ楽団「オルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ」に参加など、日本人タンゴ奏者という枠を大きく超えて、本場で活躍してきたピアニスト。ソロ活動のほか、タンゴ楽団「オルケスタ・アウロラ」のバンドマスターとしても活動している。近年はタンゴに留まる事なく、フォルクローレ方面の音楽も吸収し、モダン化されたサウンドを響かせている。
このデュオの活動は2008年に始まり、アルゼンチン音楽の他に、ジャズやクラシックなどの様々な要素を取り入れ、このデュオならではの音楽を作り上げてきた。これまでアメリカ、カナダ、ヨー ロッパ、日本など、世界各地で演奏をしてきたデュオが、初共演から6年をかけて熟成させてきた音楽の、満を持しての録音。
さて、アーティストの簡単な情報は以上の通りですが、音楽については、多くの人にとっては何の事だか分かりにくいかもしれません。「タンゴ」はまだイメージしやすいのではないかと思いますが、「ウーゴ・ディアス」とか「アルゼンチン・モダン・フォルクローレ」と言われても、相当な音楽愛好家さんでもよく分からないのではないかと思います。最近、知り合いのレコーディング・エンジニアさん、ピアノ調律師さん、クラシック演奏家、壁一面がすべてLPで埋め尽くされているレコード・コレクターさんなどなど、音楽にかなり深く関わっている友人諸氏に、「アルゼンチン・モダン・フォルクローレって、知ってる?」と訊いてみたのですが、知っていると答えた人はいませんでした。
というわけで、次回はもう少し、このCDの内容について書いてみたいと思います。 (近藤)
http://bishop-records.org/onlineshop/article_detail/EXAC012.html
2015/04/05(日) 10:35:57 |
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2015年の4月から5月にかけ、2つの作品を発表させていただきます。
(4月24日発売)
『スティーヴ レイシー / スクールデイズ +2』 (EMANEM/Bishop Records, EXIP0519, ¥2300+税) ジャンル:ジャズ(モダンジャズ)
(5月1日発売)
『ジョー・パワーズ‐青木菜穂子 / Jacaranda en Flor』 (Bishop Records, EXAC012, ¥1800+税) ジャンル:ワールド(アルゼンチン音楽)
内容等々、追って記載させていただくようにします。
2015/04/04(土) 10:17:53 |
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今年2月14日に、ヴァイオリンの後藤勇一郎さんの新作がリリースされました。Bishop Records はディストリビューションをお手伝いさせていただく立場です。
音楽界で活動していると、自分の嗜好とは違う音楽を扱う事になる事も少なくないです。それでも何にせよ関わりとなる音楽は、結構真面目に聴かせていただいている方なのではないかと思っています。
自分とは違ったコンテキストやパースペクティブを持った人であっても、真剣に音楽に取り組んでいる人の音楽というのは、何度も聴いているうちに伝わってくる時があります。裏を返すと、真剣さのない音楽は、好きなジャンルやミュージシャンであっても、まったく愛せなかったり。個人的には、音楽や芸術を(創造ではなく)観賞する時というのは、「今の自分は持ち合わせていないが、しかしその自分の価値観をより相応しい方向にリフォームしてくれるもの」に出会える事を最大の目的として接している気がしています。だから、「自分の枠の外」にある音楽に接する事が出来る機会というのは、大変に有難い事なのです。
そして、本作です。シチメンドクサイ音楽を推しがちであるBishop Records が如何にも推薦しなさそうな音楽なのですが、その本気度が素晴らしいと感じました。単純に、音を出すまでのプロセスが素晴らしい。ある曲に対し(殆どが自作曲でしたが)、ここまで楽器コントロールやアーティキュレーションを煮詰めてから録音に臨むという本気さは、音楽家として素晴らしい姿勢であると感じました。音の生かし方は、在野の音楽という枠で言えば間違いなく一流、と強く感じました。
一般的には、後藤さんはGクレフの創設メンバーとして知られているのではないかと思います。こういう枠で言えば、後藤さんは、ライト・クラシックとか、ポピュラー/フュージョン寄りのヴァイオリニストと思われているのではないでしょうか。また、私個人の後藤さん像は、たまにレコーディングスタジオでお会いしたスタジオ・ミュージシャンという印象です。ところが本作に関していうと、こういう先入観のすべてが邪魔と感じられました。演奏家や音楽家は、どうしてもワークとジョブを混在させながら活動する事になってしまうので、外から見て、その本質が分かりづらくなる事が多々あります。本作を聴いて、私個人は「後藤さんというプレイヤーの本筋は、実はここにあるのではないか」と強く思わされました。
後藤さんというヴァイオリニストに興味がある方がいましたら、ぜひこのCDを聴いてみてください。 (近藤)
http://bishop-records.org/onl…/article_detail/GDNL-0111.html
2015/04/04(土) 10:09:47 |
入荷情報
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Bishop Records のブログ・ページを開設しました。どうぞ宜しくお願いいたします。
2015/04/04(土) 07:10:48 |
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