A. 昨年のリサイタルではベーゼンドルファーを使ったが、ラフマニノフをベーゼンドルファーで響かせたら面白いんじゃないかと思った(笑)。ラフマニノフがアメリカに渡って最初に契約をしたのはスタンウェイ。だから、彼の書いた作品も、スタンウェイというピアノの音の傾向に沿ったものになった。これを、ベーゼンドルファーで鳴らしたらどうなるか、これを想像したら、良いイメージが出来たし、意義ある挑戦に出来るとも思えた。
A. Mさんの調律ですからね。ピアノの調律というのは2オクターヴで合わせていくものですが、Mさんは恐らく3オクターヴで合わせている。ピアニストが弾いたら「おっ」と感じる調律と思います。常識にとらわれない柔軟な発想で、プログラムに合わせて「こういう音で鳴ったら良いんじゃないか」というイメージを強く持って調律に臨んでおられる気がします。
A. ロマン派とはいえ、ラフマニノフも対位法なんですよ。それを突き詰めていくほどに、ひとつのメロディがどんどん短くなって、最終的には断片の切り貼りのようになっていく。そうなると、対位法としては精緻化して完成度が高まりますが、しかし人間の感覚とは離れていく。あのリサイタルで取りあげた「鐘」あたりは、短い断片ではなく、メロディを強く感じます。どの時代でも、どこに行っても、ラフマニノフは「鐘」の演奏を求められたそうですが、そこには人間が音楽に求める普遍的な何かがあるのだと思います。
A. ヴェーベルンも対位法として捉えると実に精緻で素晴らしい、しかし聴く感覚として捉えると、人間的な感覚から遠い感じがします。話を戻すと、対位法という意味でいうと、バッハ以前にある対位法は、不協和音などの感覚上の不具合が多い。ところがバッハになると、この問題が解決する。(論理性が言及されがちな)バッハは、実際には音楽を美しく響かせるという点から始まったのではないかと思うのです。 現代の視点でいうと、バロック期の音楽は、現代に比べると不自由です。例えば、鍵盤は5オクターブで、今よりも2オクターブも狭い。今の視点でいえばここに制限を感じもしますが、同時に強い創造力も感じるのです。状況に制限がある故に、作り手がクリエイティブであるという事ですね。現代はその逆で、制限が少ない分だけ、作り手側が創造性に欠く嫌いがあるのではないか。しかし、聴く側はバロックをすぐに通り過ぎて古典派へと入っていくという。