ふとしたご縁で、とあるタンゴのCDの制作に関わらせていただきました。店舗限定販売のようですが、内容が素晴らしかったのでご紹介させていただきます。
ジャズやタンゴやフラメンコに惹かれ、手当たり次第に聴いていた若いころ、タンゴというと盛岡の名を耳にすることがありました。盛岡にタンゴ専門の名門ライブ・レストランがある事を知ったのは、私が音楽業界に入ってしばらく経ってからの事でした。店の名は「アンサンブル」で、店主の森川倶志(ともゆき)さんがバンドネオン奏者。これにヴァイオリンの花田慶子さん、そして時代に合わせて様々なピアニストが加わる形で、ベースレス・トリオ「森川ともゆきとタンゴ・アンサンブル」となるようです。レストラン「アンサンブル」ではこのトリオの演奏を聴く事が出来、10代続いた歴代ピアニストは錚々たる顔ぶれ。熊田洋さんや青木菜穂子さんの名もそこに見つける事が出来ます。
このCDは、森川ともゆきとタンゴ・アンサンブルが30年ほど前に制作した12インチアナログ盤のCD化で、40周年記念作品です。アナログハーフのデジタル化などの裏話なども書けば面白いでしょうがそれは置いておくとして、何より素晴らしかったのは音楽でした。
バンドマスターの世代的に、ヌエボ・タンゴ以前の古き良きタンゴを大事に演奏なさってるのだろうと思っていたのですが、そうではありませんでした。フランシスコ・カナロなど古いタンゲスタの曲も取りあげてはいるものの回顧ではなく、モダンを感じさせる生々しい音に満ちていました。演奏も渋みがあって素晴らしかったのですが、特に惹かれたのはアレンジでした。アレンジを行なったのは熊田洋さんで、後に小松亮太さんのアンサンブルなどにも加わったピアニスト/アレンジャーです。古典とモダンを橋渡しした見事な仕上がりでした。例えれば、古いビッグバンドジャズだと思っていたカウント・ベイシーの音楽が、晩年はモダンと伝統の見事に融和した音楽になっていた事に似ている、とでも言えば伝わるでしょうか。
ミックスダウン後の2チャンネルマスターしか現存していなかったため、リミックスは既に不可能、行うにしてもリマスタリングまでという状況でした。私なりの解釈で大がかりなリマスタリングを施そうかとも考えましたが、40年に渡って盛岡で演奏活動を続けてきた事自体が日本タンゴ史の重要な歴史の一部であって、当時の録音状態に近いまま残す事が重要と思い直し、マスタリングはノイズ除去や欠落部の復旧に留め、あとはなるべく当時のミックスに出来る限り近づけたつもりです。
この40年、アルゼンチンはもとより日本のタンゴ界も大きく動いたので、色々なご苦労があったかとは思いますが、東京から盛岡に移り、こうした活動を40年間演奏活動を続けた事は生き様そのものであり、敬服します。ビショップレコーズでの取り扱いはありませんが、もし盛岡のアンサンブルに行かれる事がおありのようでしたら、このCDにも目を留めていただけると有り難いです。
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2019/05/28(火) 15:54:09 |
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CD『軌跡2~ドキュメンタリーの音楽~』本日発表です。
20代後半からドキュメンタリー系の映画や番組に関わらせていただく機会が増え、今では劇作品よりドキュメンタリーフィルムを見ることの方が多くなりました。日本の作品でいうと、古典では、放射能によって人がどう奇形化するのかを映して世界に伝えた亀井文夫『世界は恐怖する』、私が20代の頃だと殺戮の20世紀を映像で捉えたNHKと米ABC共同制作『映像の世紀』が強く印象に残っています。いずれも、人が知っておかなければならない現実を捉えた優れたドキュメンタリーと思います。
現在、東海テレビが素晴らしいドキュメンタリー番組を数多く制作しており、音楽もその作品のために委嘱制作。このCDでは、指定暴力団清勇会への密着取材『ヤクザと憲法』、袴田事件などで冤罪を訴えるふたりを追った『ふたりの死刑囚』のほか、『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』『眠る村』『Home』などのために書き下ろされた曲を収録。
http://bishop-records.org/onlineshop/article_detail/CRSA1020.html
2019/05/22(水) 15:16:38 |
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5月18日11時36分、コントラバス/作曲の齋藤徹が逝去されました。
一般には異端かもしれませんが、音楽としても人の筋としても私には本筋と思える道を、私たち後輩の前を走って示してくれた、尊敬する大先輩でした。闘病生活に入られてから私の本を読んで下さり、「私も死ぬまでに何とか本を書きたい」と仰って下さいましたが、私のような後輩すら軽くみる事なく真剣に対峙しようとしたその姿勢には敬服するばかりでした。
執筆は間に合わなかったかも知れませんが、自分の半生を振り返った2016年のソロリサイタルと、その録音『TRAVESSIA』が間に合った事で、身体性を含めたその思想のエッセンシャルな部分を音で示し残す事が出来たのではないでしょうか。本人にとってはすべてが道なかばでしょうが、それでも自分が真剣に対峙してきたことへの見解や成果の半分でも示す事が出来、それが社会の尺度に乗った上で相当な意義を持つものであった事は、音楽家として最上の人生であった事と思います。
音楽界においても迷走を続ける社会思弁においても、素晴らしいものを示した大先輩。私の理解と解釈の範囲に限られるものの、音楽に疎い人に対し、あの作品の意味のひとつを言葉として社会に伝える手助けを出来た事は、私に出来る先輩の偉業への恩返しのつもりでもありました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 (近藤秀秋)
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-6078/ https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-10857/ http://bishop-records.org/onlineshop/artist_detail/STetsu.html
2019/05/19(日) 14:59:34 |
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P.S.F.Records 生悦住英夫さんの追悼盤『TOKYO FLASHBACK P.S.F.』が、アメリカのBLACK EDITIONS から4枚組LPとして発表されるそうです。私はバッハのヴァイオリン・ソナタ1番1楽章をギター編曲して演奏させていただきました。今にすれば簡単でない曲を選んだものと思いますが、川島誠さんと見舞いに行ったばかりの生悦住さんの死を前にした当時はそういう心情だったのでしょう。生悦住さんにこの演奏を捧げて以降、私はこの曲を弾いていません。作曲ばかりしている今では、弾こうとしても弾けないでしょう。
ディレクターを務めた馬頭さんからLPを送っていただいて聴いている所ですが、オリジナル盤の発表からしばらく時間が経過したためか随分このレコードを客観視する事が出来て、追悼に参加なさったミュージシャンそれぞれの青春や人生が聴こえてくるようでした。誰だって人生を背負って生きていますが、ここに入っている音の多くが、完成したものを披露しているのではなく、何かを探しながら必死にもがいているようでした。ひとりひとりは個人の戦いなのでしょうが、まとめて聴くと、何が正義かを迷い問いながら生きざるを得ない今の東京(や資本主義社会の大都市部)の状況が音化されているようです。
キッド・アイラック・アートホールもモダーンミュージックも無くなった明大前に私は足を運ばなくなりましたが、このレコードを聴いていて、明大前のモダーンミュージックまで足を運び、生悦住さんに明大前の喫茶店で「レコードを出そう」と言っていただいた時の事や、やってもやっても追いつかない音楽の練習や勉強に追われていた頃がフラッシュバックしてくるようでした。何が正義かを暗く真面目に悩み考えていた戦後の日本の若者が、80年代に入ってまるで愚民政策に屈したかのように深く考える事もなく意味より利潤や快ばかり優先しはじめた状況下でアンダーグラウンド化した状況、それを音にするとこんな感じではないでしょうか。アフリカや中央アジアや東欧など一部の民族音楽を聴いていると、そこに文化に組み込まれた自分の音楽があると感じますが、このCDからそうした音楽は感じられません。そうした音がないのが戦後の東京なのかも知れませんが、なぜこういう音を問うなり出すなりするに至ったのかという所に共通項を感じます。
あくまで私の解釈ですが、生悦住さんへの追悼という部分を差し引いてこの録音に残る価値とは、音楽よりも、戦後日本の思想潮流のひとつを捉えたところにあるように思えます。今回聴いていて個人的に心を動かされたのは、私が子どもの頃まで残っていた日本の歌音楽にあった情緒を現代化したかのようなà qui avec Gabriel さんのアコーディオン、フランス印象派音楽と日本のアンダーグラウンドが融合したような平野剛さんのピアノ、「なぜ」という意味では最上と感じられた冷泉さんは、素晴らしいパフォーマンスでした。この4枚組LP、日本では、HMVやディスクユニオンなどから5月末に入手できるようになるようです。
2019/05/10(金) 14:10:30 |
PSFD-210
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