その時にヘヴィーローテーションしていた1枚が、マッコイ・タイナーの『Time for Tyner』でした。コルトレーン・カルテットや『サハラ』よりも夢中になった1枚で、「またそれ聴いてるの」と、よく一緒に店に入っていたバンドマンの先輩に呆れられていました。 聴音で部分転調を捉まえる事すら難しいレベルの初学者だった私にとって、『Time for Tyner』は脅威でした。長調でも短調でもない曲の和声付け、同じコード内で和声が変化して聴こえる術、なにもかもが魔術。コントラリー・モーションもパラレリズムも、名前すら知らない状態だったわけです。ハンコックの「Maiden Voyage」ですら、ドリアンではなくAm/Dぐらいに解釈し直さないと演奏できない頃では、理解しろという方が無理でしょうが、分かっていない頃というのは何が分かっていないかも分からず、そこには分からないが故の羨望もありました。