
JazzTokyo誌に、コントラバス奏者の齋藤徹さんの追悼文を寄稿させていただきました。
深い付き合いをしていなかった私より、追悼文を書くに相応しい方が多くいらっしゃる事は承知しています。齋藤さんが信頼なさっていただろう共演者の喜多直毅さん、今井和雄さん、ドネダさん。齋藤さんが師事した井野信義さん。齋藤さんに師事した河崎純さんほか数多くのベーシスト。時代ごとに齋藤さんの活動を支えてきた批評家の北里義之さん、エアジン梅本さん、バーバー富士松本さん。私が知るだけでも思いあたる方が次々に思い浮かびます。しかし、急な事でJazzTokyo編集部様も原稿集めに苦労して私にお声掛けいただいたのでしょうし、あれだけ素晴らしい仕事をした音楽の大先輩の追悼文が万一にも集まらないという事があっては後輩として申し訳が立たないと思い、僭越と分かりながら、短い言葉だけ書かせていただきました。
齋藤さんと直接のやり取りが多くなったのは晩年の事で、きっかけはコンサート評を書かせていただいた事でした。伝えられもせずに消え去って良いようなパフォーマンスとは思えないものだったので、一筆取らせていただきました。以降、やり取りをする中で齋藤さんが「本を書きたい、あなたの書いた本に興味があるので読みたい」と仰られ、お送りさせていただきました。差し上げたつもりでしたが、律儀に代金を振り込んでこられました。当時の齋藤さんのフェイスブックを見るに、入院先で読まれたようでした。苦しいだろうに、わざわざ電話いただいて感想をお聞かせいただき、また質問までしてきたその探究心には驚きました。結局、齋藤さんは本を書く事を諦められたようですが、書くだけの時間が残されていないと思われたのかも知れません。
闘病生活が始まってからの状況はSNSを通じて知っていたのですが、癌との戦いに恐怖を覚えているように私には感じられ、いたたまれなくなって「作品紹介でもなんでも、なにかお手伝いをしましょうか」と提案させていただきました。「当分演奏収入が無い上、医療費が嵩みますので」という事で、CD販売をお手伝いさせていただく事になったのですが、そんな矢先での訃報でした。
歴史に埋もれながら、自分をひとつ上の段階への止揚に導くような、優れた思想や研究や音楽がある事を、私は人生で何度も経験しました。ランボーの『イルミナション』やフッサールの『イデーン』を読んだ事がある人とない人では、世界の見え方や人生の感じ方が違うでしょう。こういうものは知ってしまえば当たり前なのですが、知るまでは辿りつく事すら困難で、誰かの強い推薦や紹介がなければ、なかなか自力だけで見つけられるものではないと思います。
音楽にも、そういう作品や演奏があると私は思っています。バッハですら全集が発行されなければ忘れられたまま消えていたでしょう。カザルスが演奏していなければ、無伴奏チェロは今も埋もれたままだったかもしれません。齋藤さんのパフォーマンスを直に体験する事が不可能となった今、録音すら聴かれなくなれば、その思弁は本当に消えてゆくでしょう。しかし、齋藤さんには人の世から忘れ去られるには惜しい録音を少なくとも3つ残したように私は思っています。無論私の主観にしか過ぎませんが、追悼文では、まだ齋藤さんの音に触れていない方にその3つを伝える事で、私なりの弔辞とさせていただきました。齋藤さんへの弔辞というだけでなく、それを聴く人にも何かを与えうる渾身のパフォーマンスと思います。
残されたご家族の方の心情は察するに余りあるものがありますが、謹んでお悔やみ申し上げます。
https://jazztokyo.org/issue-number/no-254/post-40337/
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- 2019/06/02(日) 10:54:46|
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