総合電子アーティストの織田理史さんのセカンド・アルバムが5月1日にリリースされます。私は3曲のミックスとアルバムのマスタリングをお手伝いさせていただきました。
そして、レコーディング・エンジニアの巨匠・及川公生先生が、この作品の録音評を『JazzTokyo』誌に書いて下さいました。
https://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-50965/ お書きいただいた録音評の中に「音像」「ステレオ空間」(つまり音場)「遠近感」というキーワードが出てくるのですが、これこそ織田さんと話し合い、この作品でのミックスにおける優先課題とした項目でした。最初にそれを聴き分けた先生の耳には驚くばかりですが、このありがたい録音評を読ませていただき、私が本作品で果たすべき役割は何とか果たせたのではないかと胸を撫で下ろしています。
ステレオ音場で奥行きや上下を含めて空間表現する事は、電子音楽ほど向いていそうなものですが、実際にはそうした作品は多くないまま今に至ったように感じます。在野の音楽どころか、仏IRCAMや独WDRのような電子音響システムを持つスタジオで作られた現代音楽でさえ例外ではありません。マヌリやミュライユといったスペクトル楽派の諸作も、WDR系統の電子音楽も、まさに空間表現自体が創作動機のひとつであったと思えるブレーズ『Repons』ですら、(劇場のでの空間処理はともかく)ステレオ表現では同じ課題を残したように思います。例えば、リヴァーブが用いられたとしても、それは音を奇麗にしている程度で奥行きを表現するところまで至っていない、といった具合です。
及川さんが一聴してそれを指摘したように、ステレオ空間での音場・音像の創出は、あるレベル以上の録音技師であれば皆が共有している智識や技術と思われます。しかしそれが電子音楽に活かされないままであった理由は、電子音楽はその特性からミュージシャン自身がミキシングを担当する事が多く、しかしミュージシャンがエンジニアと同じ知見や技術に辿り着く事は、エンジニアが思うほど簡単ではなかった、という事かも知れません。
DAW全盛の現在、電子音楽はミュージシャンがミキシングを手掛ける事がますます増え、電子音楽におけるステレオ表現はロストテクノロジー化するかもしれません。現況で、電子音楽の音場/音像創作のサンプルをひとつ増やすことが出来たことは、意味ある仕事だったと思っています。
作品『electric-Abyss』での私の立場はエンジニアなので、音楽自体に対する感想を述べる事は出来ませんが、もし電子音に対するステレオ音場の創作に興味ある方がいましたら、ぜひ聴いてみてください。コロナの影響でアマゾン等での販売開始は遅れるそうですが、リリース元のChap Chap Records、また織田さんの個人サイトで入手できるようです。 (近藤)
https://www.chapchap-music.com/ https://www.masafumi-rio-oda.com/
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2020/04/29(水) 11:51:31 |
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