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Bishop Records blog

レコードレーベル"Bishop Records"の、最新情報やこぼれ話など。

コロナ騒動乗り越えの後、人類はどうするのか

クラシック音楽系のweb マガジン『Mercure des Arts』に、今回のコロナ禍に関するエッセイを寄稿させていただきました。

今回の騒動で何故かあまり語られていない(しかし参照すべき)「生物種が備えている個体数抑制の機構」という動物生態学における知見を紹介し、そこからコロナ禍を眺めてみた記事です。難しい事は書いていませんので、ご笑覧いただければ幸いです。

http://mercuredesarts.com/2020/05/14/what_human_beings_ought_to_do_after_covid19-kondo/

  1. 2020/05/14(木) 21:44:49|
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ヴァイオリニスト加藤綾子 デジタルアルバムをリリース

ヴァイオリニスト加藤綾子さんのデジタルアルバムの制作を、少しだけお手伝いさせていただきました。

大バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の4曲を逆順に演奏し、その間に自身の即興演奏を挟んで構成。ここには作曲作品の演奏を生業とするプレイヤーにとっての私とは何かという問いなど、色々な考えがあるのだと思いますが、こうした発想を持ったアルバムが、クラシックの内側から発せられてきた点が素晴らしいと感じます。作品の発表には何らかの挑戦があって欲しいと思うのですよね。

ちなみに、私はボーナス・トラックとして収録されたバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番のカデンツァ部分の抜粋がお気に入りです。ボーナストラックは、バンドキャンプからの購入者のみ聴くことが出来るようですので、ご注意。

(bandcamp)
https://ayakokatovn.bandcamp.com/album/ban?fbclid=IwAR2vuYpoUyjfPUz6JQTIH3mb2j7gt81lj0Ge5JK-zgc7K3k-zeEMn3GJGr8

(PV)
https://youtu.be/0OKkAsdNurU



  1. 2020/05/12(火) 13:02:49|
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Jazz Tokyo 誌に『狩俣道夫 / no umbrella, no tonguing, if not for the room』レビュー掲載

EXJP020.jpg 批評家の伏谷佳代様が、Jazz Tokyo 誌にて、2016年発表の狩俣道夫作品『no umbrella, no tonguing, if not for the room』をお取り上げ下さいました。

 主役となるミュージシャンも勿論そうでしょうが、その音楽に入っているものが何であるのかを捉えるよう努め、そこにある何が伝わればよいのかを何度も検討し、それを以降の編集やミックス、ジャケットデザインといった形に反映させて世に投企していくスタッフも、大事に聴いていただける方がいるのだと知ることが出来るだけで、費やされた莫大な時間と労力のすべてが報われる思いがします。

 伏谷様、素晴らしい文章をありがとうございました。

https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-52116/?fbclid=IwAR1G4Vg6gYfhuq-ttuBeFTXDrdqb9mjhas6fBKbUz4niY2TiZ8VjP7XjfKc

  1. 2020/05/03(日) 11:33:43|
  2. EXJP020
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リー・コニッツ追悼文を寄稿

LeeKonitz_Motion.jpg web magazine の『Jazz Tokyo』に、ジャズのアルト・サックス奏者リー・コニッツの追悼文を寄稿させていただきました。

 私にとっては、ジャズのアドリブを勉強していく過程で何度も遭遇しながら、遂に深入りする前に過ぎてしまった人。ジャズのメインストリームはこちらに行っても全く不思議ではなかっただろうし、そうなっていれば、ジャズにはバロックの通奏低音における美技の如く音楽への道が開けていたのかも知れませんが、そうならなかった点にも、ある種の神秘を感じています。

https://jazztokyo.org/issue-number/no-265/post-51710/

  1. 2020/05/03(日) 00:46:58|
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『MASAFUMI RIO ODA / electric-Abyss』 ミキシングの一部とマスタリングを担当して

Oda_electricAbyss.png総合電子アーティストの織田理史さんのセカンド・アルバムが5月1日にリリースされます。私は3曲のミックスとアルバムのマスタリングをお手伝いさせていただきました。

そして、レコーディング・エンジニアの巨匠・及川公生先生が、この作品の録音評を『JazzTokyo』誌に書いて下さいました。
https://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-50965/
お書きいただいた録音評の中に「音像」「ステレオ空間」(つまり音場)「遠近感」というキーワードが出てくるのですが、これこそ織田さんと話し合い、この作品でのミックスにおける優先課題とした項目でした。最初にそれを聴き分けた先生の耳には驚くばかりですが、このありがたい録音評を読ませていただき、私が本作品で果たすべき役割は何とか果たせたのではないかと胸を撫で下ろしています。

ステレオ音場で奥行きや上下を含めて空間表現する事は、電子音楽ほど向いていそうなものですが、実際にはそうした作品は多くないまま今に至ったように感じます。在野の音楽どころか、仏IRCAMや独WDRのような電子音響システムを持つスタジオで作られた現代音楽でさえ例外ではありません。マヌリやミュライユといったスペクトル楽派の諸作も、WDR系統の電子音楽も、まさに空間表現自体が創作動機のひとつであったと思えるブレーズ『Repons』ですら、(劇場のでの空間処理はともかく)ステレオ表現では同じ課題を残したように思います。例えば、リヴァーブが用いられたとしても、それは音を奇麗にしている程度で奥行きを表現するところまで至っていない、といった具合です。
及川さんが一聴してそれを指摘したように、ステレオ空間での音場・音像の創出は、あるレベル以上の録音技師であれば皆が共有している智識や技術と思われます。しかしそれが電子音楽に活かされないままであった理由は、電子音楽はその特性からミュージシャン自身がミキシングを担当する事が多く、しかしミュージシャンがエンジニアと同じ知見や技術に辿り着く事は、エンジニアが思うほど簡単ではなかった、という事かも知れません。

DAW全盛の現在、電子音楽はミュージシャンがミキシングを手掛ける事がますます増え、電子音楽におけるステレオ表現はロストテクノロジー化するかもしれません。現況で、電子音楽の音場/音像創作のサンプルをひとつ増やすことが出来たことは、意味ある仕事だったと思っています。
作品『electric-Abyss』での私の立場はエンジニアなので、音楽自体に対する感想を述べる事は出来ませんが、もし電子音に対するステレオ音場の創作に興味ある方がいましたら、ぜひ聴いてみてください。コロナの影響でアマゾン等での販売開始は遅れるそうですが、リリース元のChap Chap Records、また織田さんの個人サイトで入手できるようです。 (近藤)

https://www.chapchap-music.com/
https://www.masafumi-rio-oda.com/
  1. 2020/04/29(水) 11:51:31|
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アルテスパブリッシングのオンラインショップについて

 アルテスパブリッシング様が、スタッフさん全員在宅勤務にシフト。オンラインショップで、全タイトルを国内送料無料で販売しているそうです。名目は「4月に入って多くの書店やCDショップ・楽器店が休業に入り、オンライン書店でも品切れが増えています。音楽を愛する方々に少しでも楽しく有意義にこの時期を過ごしていただけたら」という事ですが、決して大きくない出版社さんなので、もしかしたら経営上の理由もあるのかも知れません。

 「少し傷んでいてお店に出せないダメージ品は定価の半額」というものもあるそうですので、良かったら覗いてみてください。実は私も人の応援をしている場合ではないんですが(笑)。

 私が上梓させていただいた『音楽の原理』は、アルテスさんの通販サイトから直接購入すると、この本のために作曲・演奏した非売品のCDがついてきます。読書を出来るこの機会に、ぜひ。

(近藤)

https://artespublishing.com/news/artes_shop0408/?fbclid=IwAR31NnNwCs0PISQcS00FZLOLagq0rLn14qwWWlmG4FZVkX70x26oMfLnUbA
  1. 2020/04/27(月) 00:15:22|
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マッコイ・タイナー逝去

McCoy Tyner_portrait 音楽を始めたのが遅かった自分にとって、ジャズは魅了されると同時に大きな壁。学ぶ時間も金もないので、レンタルCD屋でアルバイトをして、勤務時間中に店にあるモダンジャズのCDを片っ端から聴き、面白いと思ったものをジャズの和声法の本を見ながらあれこれとアナリーゼし、半分も理解できずに悶絶する毎日。おかげで、日本のチャート音楽を流すはずの店内が、私がバイトに入るとジャズ喫茶と化していました(笑)。

その時にヘヴィーローテーションしていた1枚が、マッコイ・タイナーの『Time for Tyner』でした。コルトレーン・カルテットや『サハラ』よりも夢中になった1枚で、「またそれ聴いてるの」と、よく一緒に店に入っていたバンドマンの先輩に呆れられていました。
聴音で部分転調を捉まえる事すら難しいレベルの初学者だった私にとって、『Time for Tyner』は脅威でした。長調でも短調でもない曲の和声付け、同じコード内で和声が変化して聴こえる術、なにもかもが魔術。コントラリー・モーションもパラレリズムも、名前すら知らない状態だったわけです。ハンコックの「Maiden Voyage」ですら、ドリアンではなくAm/Dぐらいに解釈し直さないと演奏できない頃では、理解しろという方が無理でしょうが、分かっていない頃というのは何が分かっていないかも分からず、そこには分からないが故の羨望もありました。

それでも尋常でない熱気だけは感じるもので、自分にとっては天才かと思うほどの音楽を、頭で考えるのではなく体から溢れ出てくるように音にしていく様に「ジャズ」を感じていました。知性を感じつつも野性だったのです。
私が若い頃にあこがれたジャズとは、ジャズ音楽のことではなく、ジャズマンのことでした。レイドバックした大人のシャンパン・ミュージックでも、あるスタイルを上手に模倣する発表会でもなく、地下室で汗を飛ばして音や命と格闘しながら前に進んでいく人間の事と受け取っていました。電気加工してお手軽に音響上の成果を出すヘヴィメタルやフュージョンではなく、和声付けやタッチを含めた表現に渾身の思いを込めてたたき出される音楽に惹かれたのは、青年の感性として健全なものであった気がします。身体や思想と等価の肉声と思えたからこそ、あそこまで痺れたのでしょう。それは音そのものではなく、音を通して見た人の事、人のあるべき姿への挑戦の事です。

マッコイやドルフィーの音楽を聴き、ジンメルやランボーやホーキングを読むことで、私は理屈ばかりのシニカルな批評家という青臭い青年期を卒業していったのだと思います。その後もずっと迷子ですが、「どうあるか」を常に考え実践していく姿勢は、この時に学ばせてもらった事でした。人につべこべ言う前に、自分でやる。言うなら、10年やってから言う。挙体全真、実践してきた人に敬意を払うことが出来る程度には恥を知る。ランボーが筆を折ってアビシニアに向かったのも、マッコイがエリントンから先に踏み込んでいったのも、フィクションではなく、行為された現実でしたから、彼らは口だけの人とはまったく違う舞台に上がった見事な実践者であり具現者であって、私には英雄でした。
マッコイ・タイナーの素晴らしい音楽に触れることが出来た事は、自分の人生にとって大きな幸運でした。マッコイさんは、与えられた人生を見事に生き切った実践者だったと思います。合掌。
  1. 2020/03/07(土) 18:05:03|
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2019.12.4 Celeste Septet 東京公演レビュー

celeste septet少し時間がたってしまいましたが、12月4日に東京永福町のSonorium で行われたCeleste Septet のライブが言葉に出来ないほどの素晴らしさで、数日経過した今も感動が残っています。こういうことを言うと気分を害されるかもしれませんが、私がこれまでに見た青木菜穂子さんのライブの中で、最も優れたパフォーマンスだったのではないでしょうか。

このライブに向けて、青木さんはライブの出演依頼の多くを断ってスケジュールを空け、部屋に籠りきりとなって作曲やアレンジ、そして練習に費やしたそうです。そしてステージは、プログラム、作曲、アレンジ、演奏、七重奏のアンサンブル、そのすべてにおいて完璧でした。
当日、ヴォーカルを務めたSayaca との共作「La montaña de la Luna」は、詩も曲も絶品。また、タイトなリハーサル・スケジュールで本番に臨んだであろう演奏者たちも、それを感じさせないほどリアリゼーションを見せた素晴らしい演奏でした。

私事ですが、先月まで他のバンドのために作詞を行った都合で、大学生の時以来に世界中の詩集をむさぼるように読んでいました。

そして、今回のライブで聴くことのできた詩や音楽は、先日読み返したばかりのネイティブ・アメリカンやラテン・アメリカの詩集と何かを共有していると強く感じました。正義を支えている美感や価値観が同じなのでしょう。
 音を文章にするのは難しいので詩を例にとると、先述の曲で、sayaca さんはこのような一節を綴っています。「それは過去の山。それは生と死を繋げる山。」最後には山に還るという思想はいくつかの文化が持っていますが、北部インディアンもそうした民族のひとつです。自分がつねに自分のルートと繋がり、すべてそこを基準に考えるわけです。このライブを聴いていてずっと思い出していたもののひとつは、ネイティブ・アメリカンの血をひくブラックウルフ・ジョーンズの詩です。なぜ情熱的であるのか、なぜ切なさを伝えるのか、その激しいクラスターを良しとする前提には何があるか。このライブで、私が激しく心を動かされた部分の根底にあるものを考えると、すべてラテンアメリカの根底にあったものとの共通項を挙げたくなるのです。 

いま、複数の仕事を抱えてしまっているのですが、もし時間を取ることが出来るようであれば、当日のライブレポートをどこかで書かせていただければと思っています。改めまして、素晴らしい音楽を聴かせてくださいました7人のミュージシャンに拍手を送りたいと思います。

Celeste Septet (青木菜穂子七重奏)
2019.12.4 at Sonorium 東京永福町

ミュージシャン:
青木菜穂子 Naoko Aoki – piano, arrange, compose
北村聡 Satoshi Kitamura – bandoneon
吉田篤 Atsushi Yoshida – violin
西谷牧人 Makito Nishiya – cello
大柴拓 Taku Oshiba – guitar
田中伸司 Shinji Tanaka – contrabass
Sayaca - Vocal

プログラム:
Chiqué (R.Brignolo)
El Andariego (A.Gobbi)
Pajaros (N.Aoki)
Mano Brava (M.Buzón)
El Corazón al Sur (E.Blázquez)
Se Potessi Ancora (S.Bardotti / A.Piazzolla)
Otoño Porteño (A.Piazzolla)
Si sos Brujo (E.Balcarce)
Donaré (C.Ceretti / O.Pometti)
La montaña de la Luna (Sayaca / N.Aoki)
Cuando muere el Angelito (M.Ferreyra / E.Inchausti)
El Dia que Me Quieras (C.Gardel)
El Faro (N.Aoki)
La Oncene (E.Lagos)
アンコール:El Choclo (Á.Villoldo)
  1. 2019/12/07(土) 14:31:57|
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